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聖土曜日  Sabbatum sanctum



 聖週の土曜日、即ち御復活の前日はまた「聖なる安息日」とも呼ばれる。それは主の御遺骸が御墓に安息し給うた日であるからである。故に昔はこの日ミサ聖祭を献げず、晩から翌朝にかけて御復活祭の準備の聖式を行い、夜明とともにこれを終了、引き続き御復活のミサを立てて一同御聖体を拝領したものであった。けれども西洋諸国に於いては八世紀からその聖式を聖土曜日の午後に移し、更に十四世紀からは同日の朝早く行う事に改めた。しかし1951年2月に至り、教皇ピオ12世はまた昔の如く、この聖式を御復活の前夜に執行することを定められた。我等は式中劇的展開のもとにキリストの蘇り、暗黒に対する光明の勝利、我等の霊魂の復活を見ることが出来る。聖式は数部よりなっている。


(一) 聖堂の前または前廊で、火打ち石より火を打ち出し、これを木または炭に移す。この新たに造られた光は、霊的身体に更生されて御墓を閉ざす大石を通り抜け給うた世の光なるキリストを象る。司祭は紫色の祭服を着し、この新たな火に対して祝別の祈りを誦え、後聖水を振りかけ香を燻ずる。やがて侍者が復活祭のろうそくをその前に持って来ると、司祭は鉄筆でこれに十字架の線を引き、その上方にΑ、下方にΩという字をしるしながら、「キリストは昨日も今日も同一に在し、始めなり、終わりなり、アルファなり、オメガなり。」と誦え、またその四方にその年の西暦元年数を一字ずつ書き記しながら、「世々限りなく、時も永遠も彼のものなり、アーメン。」と誦える。次に助祭が五粒の香を持って来ると、司祭はそれを聖別し、前のろうそくに刻んだ十字形の線の端と中央とにピンで留め「願わくは主キリスト、その栄えある御傷によりて、汝等を守り保たせ給わんことを。アーメン」と祈る。

 更に助祭が聖別された新たな火により灯した小ろうそくを持って来ると、司祭はそれで復活祭のろうそくに点火し、「願わくは栄光のうちに復活し給えるキリストの光、心の闇と智慧の暗きとを追い払えよかし。」と祈って、しかる後そのろうそくを聖別する。

 なおこの復活祭ろうそく聖別の間は、聖堂内の光をことごとく消しておくのである。

(二) 聖堂内への行列と御復活の聖歌「エクスルテト」

 それから行列を作って聖堂に入る。助祭は白のダルマチカを着けて、火の灯っている復活祭のろうそくを手に執り、香炉持ちや十字架を捧持する副助祭の後に続き、またその背後には司式司祭その他聖職者達が、点火せぬろうそくを手にして従う。

 さて聖堂の後方に入ると、立ち留まって皆跪くが、ただ助祭だけは立ったままで、手のろうそくを挙げながら、「キリストの光(ルーメン・クリスチ)!」と歌う。一同それに答えて、「天主に感謝し奉る。」と言うや、司式司祭は立ち上がって、自分のろうそくに復活祭のろうそくの火を移す。

 また進んで聖堂の中央でも、前と同様なことを行い、今度は聖職者全部が自分のろうそくに復活祭のろうそくから点火する。更に前方に至れば、助祭が例の言葉を歌うや、ほかの人々もみな自分のろうそくに点火し、なお吊りランプその他聖堂内の照明を悉くつけるのである。

 ちなみに前の「キリストの光」という言葉は順次声を高めて歌うことになっている。

 大祭壇の、前に来ると、助祭は中央に置いてある燭台に復活祭のろうそくを立て、自分の為に用意された書物とそのろうそくとに香を燻じ、それから麗しい御復活の讃美歌「エクスルテト」を歌い始めるが、これは夜を以て罪を象徴し、キリストの御死去と御復活とによってそれから救われたことを謳歌するものである。

 この復活祭のろうそくは、本日からキリスト御昇天の祝日まで、祭壇の向かって左側に立てておき、典礼の儀式にある度にいつも火を灯すのである。

(三) 次いで聖書の預言の朗読と諸聖人の連祷とが行われる。これは洗礼志願者とにとって受洗準備の最後の仕上げになるものである。以前は十二の預言が朗読され、それも多くはかなり長いものであった。しかし今は新たに採用された儀式との均衡上朗読の預言は四つに減らされ、それも短いのばかり選ばれている。

 「エクスルテト」を歌った後、助祭が白い祭服を紫の祭服に着替えるのは、次に行われる洗礼用聖水の祝別式や授洗式などに厳粛な気分を与えることに僅少ではない。


(四) 洗礼用聖水の祝別式

 洗礼用聖水の荘厳な祝別式は序誦の形式で行われ、祈祷とさまざまの象徴的動作とより成っている。その象徴的動作とは、三度水にさわる事、水を十字架の形に分ける事、水を四方に分かちそそぐこと、三度水に息を吹きかけること、三度復活祭のろうそくを水に浸すこと、水を洗礼志願者用聖油および聖香油と混ぜることなどである。その祝別された水はまだ聖油聖香油と混和せぬ前に、一部を取り分けて信者、及び御復活節中の家の祝別に用いる。


(五) 授洗式及び洗礼の約束の更新式

 洗礼志願者があれば洗礼用聖水祝別式に引き続いて授洗する。それは受洗が聖パウロも言っている通りキリストと共に死し共に復活することを意味し、いにしえより御復活節が受洗の主要な時期とされてきたからである。

 既に洗礼を受けた人々にも、受洗当時の精神を振起させるために、聖式においては洗礼の約束を更新するよう命ぜられているが、その式は次のように行われる。

(司祭) 愛する兄弟達よ、このいとも聖なる夜に当たって、母なる聖会は、我等の主イエズス・キリストの御死去と御葬りとを記念し、主の愛に報いるに愛を以てせん為徹夜し、かつその栄えある御復活を、楽しく喜ばしい心で、待ち望むのであります。

 しかしながら、使徒も教えておられる通り、私達は洗礼によってキリストと共に死して葬られた者でありますから、またキリストが死者の中より復活し給うた如く、新しい生命の道を歩まなければなりません。それで私達は実際罪に死し、我等の主イエズス・キリストによって、天主に活きることを悟るべきであります。

 されば愛する兄弟達よ、今四旬節を終わるに当たり、私達は天主の敵なる悪魔とその業と世間とを棄てるという、聖い洗礼の約束を新たにし、聖なる公教会において忠実に天主に仕えることを約束致しましょう。

(司祭) あなたがたは悪魔を棄てますか。

(信徒) 棄てます。

(司祭) そのすべての業を棄てますか。

(信徒) 棄てます。

(司祭) そのすべての栄華を棄てますか。

(信徒) 棄てます。

(司祭) あなたがたは、天地の創造主、全能の父なる天主を信じますか。

(信徒) 信じます。

(司祭) その御独り子、我等の主イエズス・キリストの生まれ、かつ苦しみを受け給うたことを信じますか。

(信徒) 信じます。

(司祭) 聖霊、聖なる公教会、諸聖人の通功、罪の赦し、肉身の蘇り、終わりなき命を信じますか。

(信徒) 信じます。

(司祭) それではこれから御一緒に、我等の主イエズス・キリストが、かく祈れりと教えて下さった主の祈りを誦えましょう。

(信徒) 天にまします・・・・・・

(司祭) 我等の主イエズス・キリストの御父にして、水と聖霊とにより我等を再び生まれしめ、我等の罪を赦し給いし全能の天主、願わくはこの我等の主イエズス・キリストにおける我等を、聖寵もて護り、永遠の生命に至らしめ給わんことを。

(信徒) アーメン。

 それから連祷が歌われ、そのまだ続行されている間に、司祭助祭副助祭等は聖具室に退き、喜びを示す白色の祭服に着替え、他の人々は祭壇の飾り付けをする。


(六) ミサ聖祭

 これは昔から徹夜のミサとして日曜日の明け方行われたものであった。それ故このミサ中の集祷文や聖福音や序誦や典文には夜とか夜明とかの言葉が見いだされるのである。このミサ聖祭はその内容からも明らかである如く、洗礼のミサ、即ち新受洗者最初の献げ物として特別重要な意義を持っている。しかしその外にもまた古式のミサの如何なるものであったかを偲ばせるいろいろな特徴がある。例えば入祭文、クレド、奉献文がないのもそれである。そして入祭文の代わりには連祷を、その終わりにはキリエを誦える。

 グロリアを歌い始める時には聖木曜日の聖祭以来控えていた鈴や鐘やオルガンを再び鳴らす。集祷文では新受洗者が信者の務めを完全に果たすよう彼等に代わって願う。書簡は新受洗者に対する教訓で「兄弟達よ、もしキリストと共に復活したるならば、上のことをおもんばかれ」という所である。それから司祭は、御復活の歌なるアレルヤを三度歌い、聖福音においてはマリア・マグダレナや他のマリアが夜明に主の御墓を訪れ、天使から始めてキリスト御復活の吉報を聞くくだりを読む。

 イテ・ミサ・エストにはアレルヤを二度歌い添える。即ち我等はこの時から既に復活祭の喜びに入り、その神秘を深く味わうのである。「キリストは新受洗者の中に蘇り給えり、キリスト我等の中に蘇り給えり!」